お別れ
日曜日に義理の母が亡くなり、昨日葬儀を済ませ2年前に亡くなった義父の元へ送り出しました。
80を越えているし、人工透析もしていて健康体では無かったのですが、急に亡くなるような
状態ではなかったはずなのに...。
土曜日の朝、お腹が痛いというので病院へ付き添って行き、経過を見るので入院。
その時点では急にそんな事になるとは思ってもみなかった。
現に私はその夜、じて吉の忘年会へ出かけているのですから。
それが夜中に病院から「意識レベルが下がっているので来てください」の電話が。
そして、明け方にはあっけなく...。
ある程度心の準備はしていましたけど、ちょっと不意打ちを喰らったような。
でも、これで長く入院して苦しむよりはかえってよかったのかなとも思います。
向こうへ行って、オヤジに会って、また昔のようにケンカしいしいやってくれや。
オヤジはきっとこう言うに違いない。
「もう来たのかよ。オレはもう少し1人で遊びたかったのに...。まぁしょうがねえか」
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コメント
後を継ぐ者の役目とは言え、お勤めご苦労さまでした。
我々の年代は、そろそろそういう役目の時期なのでしょうか。
まったく他人事ではありません。
itaさんも書いておられますが、「長く苦しむよりは…」とも思いますが、
あまりに急に…というのは、人間ってそんなに簡単に逝ってしまうものか
と考えさせられてしまいます。
投稿: yukkyo | 2010年12月23日 (木) 09時49分
>yukkyoさん
年代的にそういうものなんでしょうねぇ。
私の場合、札幌に両親がいますので、遠いと色々大変です。
元々、延命だけを目的にする治療はしないと了解済みでしたので、
多少寿命が短くなろうとも、ある程度食べたいものを食べ、生きている間を有意義に
過ごして欲しいという考えでした。
QOL(Quality of LIFE)という考え方ですかね。
病院のベッドに縛り付けられての長生きは意味が無いということで。
タバコはさすがに止めてたけど、少しのお酒は飲んでましたし。
こういうのは考え出すとキリがないですよね。
投稿: ita | 2010年12月24日 (金) 12時23分
孤独死や年金詐欺のニュースを見ると、家族に見送られ旅立てるもは幸せではないかと思ったりします。
3月に親父が癌で大腸を切除した際に肺にも転移していました。
年を越せないかと思っていましたが進行が遅いようです。
投稿: ふみまろ | 2010年12月24日 (金) 18時20分
>ふみまろさん
家族が側にいてあげられるというのが一番ですね。
私なんかは実の親を放り出している訳なんですが。(^^;
親父さんの事、心配ですね。
うちのオヤジもそうでしたが、年取っていると進行は遅いみたいです。
投稿: ita | 2010年12月25日 (土) 06時19分
私の父も丁度6年前の年末、熱を出して大事を取って入院、正月は病院のベッドで世間話をして別れたのに、急に危篤、そのまま意識の亡いまま眠りについてしまいました。本人は痛みや苦しみはなく、回りは看病や長い期間の精神的苦痛もなく、その点は良かったのかなと思います。確かに、もっと色々な話をしたかったなとか親孝行しとけばなとは今でも思いますが。この年齢で順番に見送るのは勤めなのでしょう。合掌。
投稿: 花吹雪3号 | 2010年12月26日 (日) 18時05分
>花吹雪3号さん
意識が無い状態で生きながらえているというのも家族にとっては悩ましい問題ですよね。
年齢が若ければ希望を持って、ということもありますけど。
順番に見送れるというのもある意味幸せなことかも。
投稿: ita | 2010年12月26日 (日) 20時13分